こんにちは。葉梨の里霊園です。
7月も気が付けばあともう少しで終わろうとしています。
子ども達は夏休みに入って1週間ほど経ったころですね^^
そろそろお盆休みに向けて準備を始めている方もいらっしゃるかと思います。
お盆といえば地元に帰省される方も今年は多いのではないでしょうか。
地元といっても、知っているようで実はあまり知らなかったりしますよね^^;
葉梨の里霊園のある葉梨地区についても実はあまり知らなかったり…
そこで今回は葉梨地区について調べてみました!
◆葉梨地区はどこにある?
藤枝市の北東部にある山間地域です。
葉梨川を中心に東西に山塊が広がっています。
※写真は平成24年発行の藤枝市マスタープランより引用
◆葉梨地区の歴史
葉梨地区は中世には葉梨荘(はなしのしょう)と言われていました。
葉梨荘は今川氏初代の今川憲国(のりくに)が建武4年(1337)に足利尊氏から与えられた重要な領地で
文和3年(1354)に2代目の範氏が駿河への勢力拡大のため花倉城を築いたとされています。
今川氏が駿府に進出するまで本拠地としており、葉梨地区には「長慶寺」や「偏照寺」など
今川氏ゆかりの神社や寺院が点在しています。
◆花倉城
藤枝市の指定史跡。
標高296mの山頂付近にあり、本曲輪、二の曲輪、空堀などの遺構が残ります。
山頂まではハイキングコースを歩いて行くことができます。
今川義元花倉の乱の舞台となったお城ですが、この乱の終結後は廃城となったとされています。
※曲輪(くるわ)…お城の内外を石垣や堀などで区画した区域の名称。
本曲輪はお城の中枢部、二の曲輪は本曲輪の次につながる曲輪のこと。
※空堀…山城に多い堀の形式。一方、標高の低い平地にたつお城は内部に水を張った堀でこれを水堀と呼びます。
◆花倉の乱
天文5年(1536)に今川義元とその兄である玄広恵探(げんこうえたん)との間で起こった家督争い。
花倉城に立てこもっていたは玄広恵探は義元に攻められ瀬戸谷の普門寺に逃れたものの、ここで自害し花倉の乱は終結しました。
いかがだったでしょうか。
今回は葉梨地区の歴史などについて触れてみました。
自分たちの住んでいるところを調べてみると
意外な発見があったりしてより親しみが沸いてくるような気がします。
歴史を調べるのも面白いですよね^^
ここで触れた花倉城などは葉梨の里霊園からも近いですので
ご興味のある方はお立ち寄り頂いてみてはいかがでしょうか。
見学の予約も随時承っております。
皆さまのご来園をおまちしております。
葉梨の里霊園
フリーダイヤル 0120-874-145 (10:00~16:00 木曜定休)